新しいテレビ 

先週からテレビの調子がどーもおかしくなって、画面にノイズが入る様になってしまった。

目障りだけど『何だろう?』と思いながらも、そんなに長時間はテレビを見る事は無いから放置してた。


でも、テレビのノイズは日に日に酷くなる一方で、先週の木曜日にいきなり画面が真っ黒になっちゃって。

電源落としてもう一度入れれば映るんだけど、5分も持たずにまた真っ黒けっけになって、音声だけが虚しく聞こえてくる。



まだ買ってから3年ちょっとしか経っていないのに、こりゃどうしたものかと時間を空けてまた電源を入れてみても、せいぜい15分持てばマシな方。
さすがは何処のだかわからん安物のテレビだ。


・・完全にイかれたな。


買い替えるったって、中古でも今の私にはとてもそんなお金は捻出出来ないし、生保受けてるからローンなんて組めないし。


散々金銭面では元養父に世話になったから、両親の離婚後、春先に1度野暮用で会って以来、どんなにキツくても全く連絡をする事はなかったんだけど、買い替えが必要なのか否か電話して聞いてみた。



元養父は転職する事無く40年近く定年まで東芝で働いていた。役職にも付いたけれど元はシステムエンジニア。

かくかくしかじかと事情を説明すると、基盤が熱でダメになってしまっているから直し様が無い、と。


で、「まるっきりテレビが無いのも困るんでしょ?」と聞かれ、本当に申し訳無い気持ちでいっぱいだったんだけど、新しくテレビを買って送ってくれると言ってくれた。

壊れたテレビは19インチだったけれど、スチールシェルフが薄型だから、「幅や高さは問題無いけど奥行だけは17cmが限界だ」とメールをすると、よく意味がわからなかったのか電話がかかってくる始末。


もう年金暮らしな上に、慰謝料迄払わされてるのに、本当に本当に申し訳無くて仕方が無い。

どうせならば私に遺産を残すと言ってるあの人が金出せばいいのに。



今日の昼過ぎに配送が来ると連絡があったから、壊れたテレビをどけて、シェルフの棚板を移動させて準備して待っていたら・・




黙ってても立派な東芝のREGZAの23インチのテレビが届きました。
他のメーカーのテレビを買う選択肢なんて事は全く無かったんだろうな。







因みに元義弟は日立の人なんだけど。




DNA 

ありがとうの言葉





ごめんなさいの言葉





感謝の気持ち





相手を理解する事





相手を赦すこと





出来なくて



『今迄の時間を返してくれ』


『謝罪の態度に誠意を感じられない』



そう言って

散々まわりに迷惑かけて居なくなった




私にはたった一人だけ

憎悪しか抱けない人が居る




それは私と同じ血を引いたあの人の事




ふと自分を客観視すると

ゾッとする事がある



『私は私でアンタとは違うんだよ!』





本当に?



いくら縁を切っても纏わり付くDNA



重く重くのし掛かる






落っこちた 

一週間程前から

色んな思いがフラッシュバックして

いきなり気分が落っこちた


外へ出掛ける事も身の回りの事も出来ずに

毎日布団から出られず蓑虫になっている


そんな自分が不甲斐なくて悔しくて

気付くと涙が溢れてる



何もかも切り捨てて

1人を選んだのは私自身だし

誰にも頼らないと心に決めた事なのに


今は色んな感情がごちゃ混ぜになって

怒りと不安と憎悪と罪悪感で

寝逃げでもしてなきゃ頓服祭りになる程だ



それでもまだ過去に味わった程の

どん底迄は行っては居ないだろうし

意地でも這い上がって来てやる



私が前に進む為に 

2年半別居していた両親が離婚した


母は再婚だから


私の姓はもう3度も変わってる


今回の離婚で養父と養子縁組を解消した


だけど私はもうこれ以上


母の人生に振り回されるのは嫌だと


養父の姓を名乗らせて貰い1人戸籍を作った




1人でいい


もう私は1人でいい


1人でも前を向いて歩いてく



理解不足 

今日は訪看さんがくる日で

先週は訪看さんが病欠で

その前の週は私が精神的にダウンして

3週間ぶりのご対面。


だいぶ間が空いてしまったから診察の内容も遡ったりして

何だか殆ど雑談状態(と言うよりも私が多弁状態)で

話があっちに飛んだりこっちに飛んだり。


此の所やたらと落ち着かなくて苛々してしょうがなくて

なのに不安で不安定でどうしようもなくてしょうがないと

やっぱり自分を責め続けてしまうという事と

アパートの更新の書類と一緒に来た養父の手紙で

思いっきり気分が萎えたという話をして

一先ずは『アパートの更新が最優先だから』という事になって

訪看さんが福祉課に更新料の件で電話をして問い合わせをしてくれた。


私はてっきり福祉課から借金しなきゃいけないと思っていたから

その心配は無いと言われてひとつ不安が消えたけれど

保証人の件では実家での複雑な事情があるから

書類を郵送するのも実家に帰るのも嫌だと訪看さんに話しをした。


だけど生保を受けている以上はやはり保護者でないとまずいと言われ

またここで問題勃発。

養父はずっと名古屋に出張に行ったっきりで自宅に戻って来て居ない。


訪看さんが帰ってからしばらくどうしようかと考え込んで

気分が重かったけれど養父に電話をしてみたら

やはりまだ出張中で4月迄は自宅に帰れないとの事。


アパートの契約更新の書類は今月中に送らなきゃいけない。

事情を話したら「他の人に書いて貰って別の印鑑押せばいいでしょ」と

あっさり解決。



だけどその後に先日来た手紙の内容と同じ様な事を言われ

その件に関してはメールで返事もしたし

今迄顔を合わせる度に何度も何度も話しても

実家に強制送還されてた頃から何ひとつ変わっちゃいない。


『精神疾患への理解不足』


訪看さんとも話したばかりだったし

以前主治医からも『理解なんて出来ないんだから放って置いていい』

って言われた位だし

私ももうその件は本当に放って置いて欲しいのに。


心配してくれているのは解っていても

そのかける言葉が逆に重荷になるって事だけでもせめて知って欲しいんだよ。


「気晴らしをしなさい」「気の持ち様だ」「努力する事も必要だ」


何度も何度も同じ事を言われてとうとう泣きながらキレてしまった。


「言ってる事は良くわかるんだけれども

それでどうにかなるんだったらもうとっくに良くなってるよ!

気持ちの問題じゃなくて頭が言う事聞いてくれないんだよ!

それが自分でもコントロール出来無いから辛くて堪らないんだよ!」


そう一気に捲くしたてると

養父は「わかったわかった、そう言う『事も』言わない方がいいのね。」と言って

あっさりと電話を切られてしまった。



実の父親でも無いのに10歳の頃から育てて貰って

散々迷惑も心配もかけて本当に有り難く思っているんだけれど

どうしても病気の事になるといくら主治医やCWさんが説明しても

『努力すれば治る物』『入院したんだから治る筈』という思いが抜けないのか

去年私が躁転した事もきちんと説明したのにそれすらも未だに理解されて無い。



色んな事があり過ぎた実家だから帰りたくないって理由もあるけれども

顔を合わせれば病気の事で小言ばかりになるから避けて居たのに

たった数分電話で話しただけで不甲斐無いし口惜しくて堪らないし

私だってなりたくてこんな病気になった訳じゃないのにと

また泣けてきてしょうがない。





団塊の世代の養父と実母 

9月に父方の伯父が亡くなって

まだ躁転して間も無い頃だったから

お通夜の時に養父に掻い摘んで病気の事を説明し

あとはネットで調べてくれと言っておいた。



一昨日の夜

9月以来連絡を取っていないし、病状の事もあったし

養父に相談事があって電話で話していると

実家で療養(になんてちっともならなかった)してた頃と

まるっきり同じ様な言葉ばかりが返ってくる。



やれ

薬にばかり頼るんじゃない

とか

治そうとする努力も必要だ

とか

散歩でもして気分転換したり運動する事も必要だ。



そらきた。



今の病気の事を調べていなかった訳だ。




不安で不安定な私は

自分がどういう病気になってしまって

今現在どういう状況に置かれているのか

泣きながら説明するハメになり


終いには実の母親に対する怒りまで込み上げて

自分でも訳が解らなくなる程だった。






両親は再婚で私は母の連れ子。


私が10歳になる迄保護にも頼らず仕事をしながら私を育て

今の父と再婚した。





私は母と折り合いが合わずに早くに実家を出て

殆ど実家に帰る事も無かったのだけれども

精神疾患を患って貯金を切り崩しながら生活をしていたけれど

病状悪化で実家に強制送還。




初めは腫れ物を触るように接していた母親も

一緒に居る時間が長いせいか

寝てばかりで何も出来ない私に無理に何かをさせようとした。




後で養父に聞いた話だと「あの子はできる子なんだから」と

言っていたらしいけど

鬱状態の患者には絶対にやってはいけない事。




両親の世代だと

精神的に追い詰められても「ノイローゼ」で片付けられてしまっていただろう。

ましてや精神科医にでもかかろうものなら

周りから好奇の目で見られるかキチガイ扱いでもされただろう。




だけどね

当時と今ではストレスの度合いや病気も違うんだよ?




養父は先に書いた通りだし

母は病院の面談でも

私の病状を聞くどころか自分の不満や不安を怒濤の如く喋り倒して

担当のCWさんに「お母さんは黙ってて下さい!」と怒鳴られた程。


精神病患者に偏見を持って理解もしようとしないくせにこの有様で

『そんならアンタが病院かかった方がいいんじゃないの?』と思った位。





3ヶ月の入院を余儀なくされてすっかり痩せて退院した私は

実家に戻って更に退院鬱になり益々痩せ衰えて


『入院すれば治る』

そう思い込んでいた両親の風当たりはますます強くなる一方。




そのうちに今度は両親が家庭内別居状態になり

娘は相変わらず何もしない(出来ない)日々。



私が家を出る決定打になったのは

普段から小言ばかりの母親が朝っぱらから私に怒っていて

普段から言葉の暴力が多いし適当に聞き流していたら

熱湯の入ったマグカップを持った私を背後から突き飛ばしたから。




さすがに目の前で一部始終を見て居た養父も話を聞いた今の主治医も

「いつ殺傷沙汰になってもおかしくないからすぐに家を出なさい」

と言う訳で

母親『だけ』には居場所を知らせず

生保を受けながら一人暮らしをしている訳なのです。





そんな両親は只今大変馬鹿馬鹿しい別居中。

線路1本隔てた徒歩圏内にアパートを借りて

私が家を出てから母はそこに居るんだとか。



だけど養父は月の2/3は出張していて

「その間、猫や花壇はどうしてるの?」と聞いたら

居ない間は自宅に居るらしい。




そんな事をまだやっているのかと思うと

本来私が口を出すべき事では無い事なんだけれど

あまりにも馬鹿馬鹿しくて腹立たしくて


「第三者の他人として言わせて貰うよ。馬鹿じゃないの?!」と

散々世話になった養父に言ってはいけない事を言ってしまった。



私も養父も本当はわかっているんだ。


母が頑固で頑なに意志を曲げない人だということを。






両親共

一生治らない病気を抱えてんのに


ホント



馬鹿じゃないの








おさまらない怒り 

日曜日は伯父の通夜で朝の4時には起きてしまい

落ち着かなくて落ち着かなくて昼までに頓服二回投下。


夕方になって家を出る時も不穏時の頓服投下。



時間通りに斎場に着いて受付に行くと




そこに居たのは従姉妹と私の母だった。




母は

「まぁ!来れたの?大丈夫なの?」と

安心した様な顔で声をかけてきたけれど

私は相槌程度しか打てず心臓鷲掴みされた位の心境。


記帳をする時にも名前しか書かないでいたら

「住所は?」と言われ

嫌味を込めて「シークレット」とだけ言った。



それ位居場所を知られたくないから。



式の間も怒りの感情は収まらず

何度もその場を立ち去りたい位の衝動に駆られ

落ち着いて椅子に座って居る事が辛くてたまらなかった。



その後の食事会でも母とは一言も話す事なく

私は父や叔母親子とばかり話しをしていた。




私の怒りと傷は癒えてはいない。



お願いだから放って置いて。




こんな時だけ母親ヅラしないで。

落ち着かない事この上無し 

火曜日の朝に自宅に戻り

やっと薬を飲んでシャワーを浴びてぼけぇ〜っとしていると

昼に父親からの電話あり。


「兄貴が亡くなったから。斎場の都合でもうお骨にしてあるんだけど

 お通夜が日曜日で、告別式が月曜日だから。

 お前もお世話になったんだから、どっちかには出席しなさい。」


「それで、喪服とか無いだろうから、とりあえず今から家に来なさい。」

と言われて実家に帰る。


父親が葬儀に関する費用を全て用意してくれて

そのまま近所の大型靴屋で靴購入。



夜になって家に帰ってから

楽天とYahoo!をリサーチするも疲れ果てて寝落ち。



昨日は寝起きからおんぼろPCに向かって

喪服から何から必要な物を購入して

今日届く様に昼前に代金の振込に行って

近所のスーパーでこまごました物を購入。

黒のストッキングなんて履かないもんなぁ。

薄墨の筆ペンなんて持ってないもんなぁ。

自分で持ってたのは『ふくさ』だけ。




その後夕方から何故か暴飲暴食に走り

椅子に座ったまま眠りこけてて気づけば3時半。

慌てて薬を飲んで寝るも

悲しいかな6時半には目が覚める。




これから荷物がドカドカ届き始めるかと思うと

身動きが取れないし落ち着かない。



でも多分

落ち着かないのはそのせいじゃない。



こうして準備をしながら伯父の事を思い出し

子供の頃

初めて私にお酒を飲ませたのは伯父だったなぁ


とか


晩年は私が実家で療養していた時に

1,2回会っただけだったなぁ


とか



なんだか色々思い出すし



あとは


今の状況の私がお通夜で親類縁者に顔を会わせる事が

色んな意味でちょっと辛いのと・・




色々考えてたら

そわそわ落ち着かなくて

だんだん異常に落ち着かなくなって


結局


頓服投下。




落ち着け私。





色んな事がありまして 

気付けばもう8月か


6月のOD騒ぎ以降、なんだか色んな事がありまして。

入院先に父親が来た時に

「近いうちに時間作って家に帰って来なさい」

と言われて、ものすごーく重い気分で実家へ帰ると

父親の口から出て来た言葉は

「お母さんと離婚するかもしれない」



私が実家を出てから、ずーっと別居してるからね。


『あぁ・・とうとう来たか・・』

とは思ったけれど、私の戸籍は一体どうなるのか?



そもそも両親は再婚で、私は母親の連れ子。

もう私は成人しているから、独りの戸籍を作る事も出来る。


離婚が本当に成立したとしても、私は金輪際母親には会いたく無いし、

保護者にもなって欲しく無い。




まだ決まった訳じゃないし、両親共病気を患っているから

父親はなんとか離婚を思いとどまらせたい様だけど

母親は異常なまでの頑固者。




私の主治医は「今から心配しててもしょうがないよ」と言うけど

父親から話を聞かされた時は、母親に対する色んな感情と、

私自身のこれからの事でアタマがいっぱいになっちゃって、

しばらく頓服祭の生活をしてた。




無縁仏になったって何だっていいよ。



たとえ実母でも、私はもう縁を切りたいんだよ。




2年ちょっとの空白 

久しくここに記事を書かなかったのは、mixiの存在と病気。


ADHDと診断され、西新宿のクリニックに通っていたけれど、

薬を取りに行くばかりで診察は月1程度。

そのかわり、診察にはとても時間をかけて貰っていたのだけれど、

当時私は実家に戻っていて、あれよあれよと言う間に病状悪化。


ICUにも入ったし、何度救急車の世話になったことか。



結局、新宿のクリニックの先生に

「このままじゃあなたの命にかかわるのよ」と言われ

今現在通院している精神病院に一昨年の夏から3ヶ月

閉鎖病棟に入院しておりました。



退院したからとて完治を意味する訳では無く

両親共にそれが解せない様で

挙げ句の果てには母親とのイザコザが絶えぬ日々が続き

自室から出られなくなってしまい、言葉の暴力だけならまだしも、

母親は私に手を挙げる様になって

父親と現在の主治医から

「何かあってからじゃ遅いから家を出なさい」と言われ

昨年春から病院近くにアパートを借りて生活保護を受け、

病院には毎週通院という生活を送っております。




母親には私の居所を知らせていません。

父親にも病院にも生活福祉課にも「絶対に何があっても教えないでくれ」

とお願いしてあります。勿論、携帯は着信拒否。




正直なとこ

同性の親とはソリが合わない人って多いと思うけれど

ウチのは病的。私が子供の頃から。




多分もう、二度と一緒には暮らせない。